a day

ハローでグッバイな

こんなふうに思うなんてね。

あっという間に数日が過ぎます。


高校時代の友だちが地元(京都です)で集まるらしく、お誘いがあった。
今となってはほぼ年賀状オンリーのおつきあいで、電話でしゃべったのも何年ぶりっていう友だち。
わたしが随分前に地元を離れているのもあって、皆が今どうしているかあまり知らない。
あの子はどこにいるの?とか聞くと、変わらず地元にいたり、東京にいたり、ミュンヘンとか中国とかいう答えが帰ってきたりした。
止まってた時が、流れ出す。

今となっては細い糸のようなつながり。
でも。なんだろうね。
あの頃の友だちは、いくら会わなくても、何してるか知らなくても、ずっと「友だち」って思ってていい気がするんだよね。
好きとか嫌いとか、気が合うとか合わないとか、そういうのではない何かがある、ような気がする。

極端な話だけど。
もしもわたしが何か危機的状況に陥って、例えばすごい犯罪を犯すとか?、大病をするとか?、そういうことになったらふと打ち明けたりしてしまいそうな。
こころの端のよりどころ、ふるさと、みたいなものに近いかも。

大人のつきあいも知らない、損も得もない時期に、ただずっと集まってたからなんだろうか。
どんなに表面が変わってもその子の芯の部分を知っているような、そんな安心感があるからなんだろか。

今回わたしは参加できないけど。
みんなもっともっと年を取っていろいろ暇になったら、また集まっているといい。
久しぶりでも久しぶりじゃないみたいに、同じような空気で。
そう思うと、なんかいいな。

…おまけ。この歌聞くといつも過去にふわりと引き戻される。
斉藤和義さんの「真夜中のプール」。