a day

ハローでグッバイな

感覚の違い

メールと電話、今や使うことが多いのはメールだ。
メールは便利。相手の時間を拘束しないし、用件だけを伝えられる。
世間話もしなくていいし、切るタイミングに困ったりもしない。

だけど。だけど…なのだ。
わたしはメールってのは、時間を拘束されないものだと思っている。
制限時間のゆるいもの、緊急性のないことがらを、メールで伝えるんだと思ってる。
出かけていたり、人と会っていたりするときには、メールに気づかなかったり、気づいても見なかったりする。
でも、相手は違う場合がある。
あと2時間以内くらいに返事しないと間に合わないような事柄を、突然メールしてきたりする人がいる。
わたしは全然気づかずに、夕方くらいに「うぎゃっ」って気づいて「ごめん!!気づかなかった!ホントごめんね〜」みたいな返信を送るのだ。

そんなことなら電話してくれよーと思う。気づかなかったこっちが悪かったように思ってしまう。申し訳なく思わせないで欲しい。
メールがそんなに返信をせまられるものなら、電話よりも時間を拘束されている。
だって一日中気にしてなきゃいけないんでしょ?
よく中高生が、メールの返信が遅いと仲間はずれにされるとかいう話を聞く。寝るときも食べるときも、携帯を真横に置いて生活していると。
なんか、そんなの、おそろしい。繋がってるというより、繋がれてる。

実は電話だって少し思う。
家電しかない時代は、家に居なければ出なくてよかった。出れないからしょうがない。
だけど携帯だと、そうはいかない。
絶対つかまる便利さはあるけれど、絶対つかまえられる不便さはある。
留守電や着歴もなかったようなときは、かかってきてたって、居なかったら知らなかったんだから、すごいよね。
用事のあるほうが、しつこくかける。居るまでかける。もしくは諦める。シンプルだ。

便利さを知った今、ないほうがいいなんて言わないけどさ。
「ある」から「ない」には戻れるもんではないから、上手につきあっていくしかないのだけども。
たまーに、振り回されて、ふぅ…と思う。