a day

ハローでグッバイな

思い出なんて

今週のお題「運動会の思い出」

運動会が終わってひとまずスッキリです。
前日に息子に、「お弁当のおかずは何がいい?」って聞いたのですよ。リクエストに答えられるもんなら答えようかなと思って。そしたらさー、キラキラした目で即答したよ。

「たまごぞうすい!」

・・・よ、よりによってそれか!なんでそこかな!ほんとにそうしちゃうぞ!

「運動会のお弁当」ってうっかり検索するとすごいものが出てくるんですよね。
すっごく美しくて、工夫に満ちた、色とりどりのお弁当。
今まで、何入れればいいんだろう、どんなものを目指せばいいんだろうと、ちょっとしたプレッシャーだったのです。

だけど、なんか今年はひらめいた。実は毎年同じでいいんじゃないの?と。
もう、「運動会といえば」的な弁当にしてしまえばいいんだ。決めとけばいい。
運動会といえばからあげ、でもいいし。
運動会といえばエビフライ、でもいいし。
運動会といえば筑前煮、でもいいし。
運動会といえばうずらの卵、でもいい。(よくないか)

いろいろ毎回工夫をして作るのが楽しい人は素晴らしいけれど、そうじゃない人はデジャヴのように同じ弁当を作り続けていいんじゃないかと思ったのだ。

というのも。
わたしが子供のころ、祖父が秋になると必ず20世紀梨を送ってきてくれた。
祖父母の家はギリギリで生活していて、大工だった祖父がたてた小さな小さな家に、ずっと住んでいた。
わたしたちが遠方から遊びにいっても、今日のおかずはきゅうりしかない、とかいう時もあった。母がきゅうりのスープとキュウリの炒め物ときゅうりのサラダを作ったのを今でも覚えている。
そんな経済状況の中でも、毎年必ず、梨はとどいた。お年玉は無くても梨は届いた。
秋の初めになると、来るぞ来るぞ、と楽しみにしていた。
ひとつの物を、飽きもせず何の工夫もなく繰り返されるのは、子供心に印象に残る。
もしかしたら、「いろんなものを送ってくれる」ってことよりももっと。あとからも、あーそうだったねぇ、って思い出す。
祖父母が亡くなった今、父がそれに習ってか、毎年20世紀梨を送ってくれるようになった。
息子はおじいちゃんの梨を、飽きるほどの数の梨を、喜んで食べている。

えっと。だから。話が長くなったけれど。
毎年同じお弁当でいいのだ!と結論に至ったというわけだ。(笑)
そういえば運動会の弁当はいつもからあげだったねぇ、でいいと思う。
おふくろの味、っていうのもおいしかった物というより、飽きるほど繰り返し作られたものじゃないだろうか。
まぁ、わたしがわたしを気楽にするためのこじつけともいえる。
そもそも、印象に残すために弁当を作るわけでもないし、物を送るわけでもない。
ただ、結果としてそうかなぁとふと思ったから。

ほんっと載せるほどのモンではない平凡地味な弁当だけども!

食べちゃえば、思い出しか残らない。