a day

ハローでグッバイな

例年のボヤッキー

やっと年賀状を終えた。これが毎年ほんと年末プレッシャー。
終わるとスッキリはするのだけど、どうしていつもぎりぎりまで取りかかれないのか。

年賀状くらい軽やかにやれんものかと思うのだけど。
やれんのだよねぇ。
この人は今年も出すのかどうなのか、とか考えるのがもういやだもの。
もしも永遠に出し続けるなら、ものすごい枚数の年賀状を出さなきゃいけなくなるわけですよ。人間関係って変わってゆくのだから。
だから、どこかでね、どちらかが、切っていくことになる。
メルアドも知らないのに年賀状だけ出してるとか、考えたら不自然だし。
今年また、もう一生会うこともなかろうという人は、出さないことにした。来ても出さない、うん。

だけどこの人出したらこの人も出さなきゃおかしいか?とか。
会うこともなかろうが、なんとなく出しときたい人もいたりもする。
あーめんどくさいことですよ。なぜ人を取捨選択しなきゃなんないの。

若い子たちは、フツーに「1枚も出さないです〜」とか言うんです。
「出しちゃったら相手も出さなきゃって気ぃ遣うし〜」って。
おお、優しさなんだ!なるほど!ってちょっと目からウロコだったのだけれど。
どのあたりからそういう風なんだろうなー。
わたしの周りの人たちくらいまでは、一応出すのが普通、という認識の人が多い。
ていうか結婚している人は、ダンナさん関係や子供関係から出さざるをえないことも多い。

「年賀状やった?」
「まだまだ〜〜、めんどくさいよねぇ」
「全国で一斉に禁止になればいいのにねぇ〜」

とか言いながら、出す。風物詩のよう。
いいな、年賀状禁止令。資源のムダ使いという理由でいい。
別にただ自分が出さなきゃいいだけのことだけど、これがなかなかどうして。法に頼りたい。
もう文化ともいえなくなっているようなものだし、いいんじゃないかな。
ま、郵便局が許すまいが。

「今年も」って書かなきゃいけないところを「来年も」と書いてしまう。あー、間違えた。
そういうところもちょっとイラッとするんだ。まだ明けました気持ちにはなれてないんだよーっって。


花梨さん、トラバありがとうございます!
http://karin.hateblo.jp/entry/2012/12/27/161557
年賀状の義理と人情のはざま(?)を感じさせられます。